生命にとって塩という存在はとても奥深い(´・ω・`)
生命の起源は海にある。
だから生き物の体内には原始の海があるという(´・ω・)
生命が陸上に這い出て来る時に、あたりまえにあった海を身体に内包するしか無かった。
しかも陸上では代謝にともない、生きるだけで海を消費してしまう_( _´ω`)_ペショ
水分が、ミネラルが体外へと抜け出ていく(;゚Д゚)
動物は飲食によって内なる海を補う事で陸上生活を可能にするも、内なる海の環境を守るのは難しいようだ( ;´Д`)
特に飽食という人類史的にも生物史的にも余り経験の無い事態が緑の革命以降世界の一部では起きている。
歴史的に見れば特定の特権階級のみがなし得た飽食を、緑の革命以降の食糧増産という流れは国レベルの規模飽食を可能にしてしまっている。
その影で世界レベルでの格差が起きている現実もあるが、個人レベルに起きている問題も実は深刻だ。
野生の動物は飲食において足るを知るという(°▽°)でも人は足るを知っているのだろうか?
そしてこの時の足るとは、何に対しての足りるという事なのだろう(・ω・)?
甲田先生の活躍された時代は、栄養失調による病気の時代から様変わりして飽食による病気が主流になった時代でもある。
また産業革命からの高度成長は様々な分野を発展させ、甲田先生の頃には人口調味料などの添加物も百花繚乱とばかりに出現していく(;゚Д゚)
あたりまえに広く使われていた添加物が、実は身体に悪いからと規制する様になった時代でもあった。
使う前に安全性を検証するという発想がまだ希薄な時代、ある意味今もまだ大して進歩しているとはいえない分野ではあるが、それがさらに混沌としていた頃だ( ̄◇ ̄;)
甲田先生はマイナス栄養学なる発想を打ち出すΣ('◉⌓◉’)
バランスを取る為に何かをさらに入れるという選択肢しか無いと皆が発想している頃に、断食などの経験からマイナス栄養学を唱えたわけだ。
では何をマイナスとするのか?甲田先生は本当に必要な栄養バランス以外を排除したいと考えられたようだ(´ω`)
日本も高度成長経済の勢いで飽食美食を謳歌している頃である(^◇^;)
甲田先生は粗食に還れという。
しかも完全栄養を考えた粗食がいいと言う。
玄米菜食に青汁を毎日飲食すれば、日に30品目も食べる必要はないと言う_( _´ω`)_ペショ
30品目もいるのは白米を基準にするからだと説き、あなたの消化代謝能力は本当にその量に対応しているのか?と問いかける。
消化能力を超えた飲食は宿便になると言う。
世の医学者は宿便なんてものはないと言うが、断食を試行錯誤する甲田先生は体験的に宿便の存在を理解していたのだ。
そうなると果たして机上の空論を説くのはどちらであろうか?
断食で数日食べないのに出てくるエゲツない排泄物がある。
スイマグなんて緩下剤でトイレと友達になれとばかりに腸を洗い流そうと指導する甲田先生にとって、出てきた排泄物が便秘で今まで出なかった便であるはずがない事は百も承知なわけだ(´-ω-`)
大腸カメラを突っ込んで宿便なんてもんは存在しないと言う医学者がいたとしても、現に出てくるものが存在するじゃないかと言うわけだ。
(´-`).。oO(便って、食べたものと腸壁の老廃物や腸内細菌叢の成れの果てで出来るんだよ。勘のいい人は何となく判るよね。)
そんな甲田先生の考え方が学べる本がアップした一冊。
この本には、人体にとっての塩の有用性や命の強さに気付かされる_φ( ̄ー ̄ )
完全栄養を考えた食事とは、内なる海の環境を守る食事である。暴飲暴食して無くても、結構な人が日常の飲食から出る体内の生活排水で実は内なる海も汚れてるのかもしれんのは、知らぬが仏なのかな(; ̄ェ ̄)
次の食事で準備食最後の食事_(:3」z)_
非常に名残惜しいwいよいよ明日から7日間は寒天か(°▽°)
最初はいいけど、3日目ぐらいから濃いめの寒天は飽きるんよなぁ(ノ_<)
固まる前に半分は飲むのがベストだと分かっていても欲しくなる食感_(:3」z)_
寒天濃度を14gでなく12gで今回はいくつもりだけど、それなりにやっぱり硬いだろうなw
水分増やしても味気ないだけだし、スイマグを入れないつもりだけどいっそのこと柿の葉茶を寒天で固めるかw
そんな誘惑が起きてる夕暮れ時(^◇^;)
最後の玄米クリーム、いつ食べようかなぁ(´ω`)