和治鍼灸院

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豆知識

氣についての一考察

氣の概念

氣と云う概念は、未だ科学的でないと世間では認識されている。個人的には自然科学と現代日本でいうところの科学の認識のズレからこうした状況が起きるのではないかと思われる。技能と技術と言う似て非なる言葉?認識がある。技能とは、無意識を含んでの一つの再現性をもった能力であると個人的に認識している。

これに対して技術とは、無意識下の行程をもマニュアル化して万人が習熟する事で再現できるものをいうのではないだろうかと考える。ここでいう無意識下での行程は、物事の再現においては結構大事なものであったりする。形を作るだけとなると、意識の置き所による緻密な工程が生み出す過程をそぎ落とす事で簡略化を図る。機械と人による微妙な差を生む点でもあるのだが、氣と云うものがあるとするならばこの差は非常に大きな差となると私は思う。

気持ちとはよくできた言葉であり、氣を持つと書く。物に気持ちがこもるという概念があるならば、それは氣を保つ事に他ならない。古代の装飾を作る過程で、加工道具や工程の簡略化が進んでいない時にはつける者に対しての祈りや願いを塗りこむように託して作っていたようだ。そうした思いが一つの御守としての側面をもち、この概念が呪術的風土へと発展していったようである。

私見であるが

個人的に氣とは、一つの振動もしくは波なのではないかと思う。科学的に認識するには、氣がもたらした変化を追う事でしか未だ認識する事がかなわない。例をあげるならば体温変化を利用したサーモグラフィーなどによる視覚化や動植物の発育や健康状況を追跡調査することなどである。個人的に期待する解析法は、自律神経活動の数値化をする技術利用した方法である。

そうした技術に人間を含んだ生物をアンテナとして解析した数値を平均して割り出す方法の確立だ。こうした技術が確立すると、今まで技能として認識されてきた個人芸が技術化されるのではないかと大いに期待するからである。心の持ち方や集中のしかにより、工程に微妙な変化が現れる。この微かな変化の積み重ねが、時には非常に重要になる。健康が日常生活の結果として現れるようなものだ。

こうした一考察がもたらす氣とは波ではないかという疑問を解き明かすと、氣による変化は科学的だといえる一つの指標が生まれる。指標が世間に認められると、もの創りという概念に新たな変化が生まれるだろう。形にどれだけの有用な氣が込められているかが指標化する事で認識しやすいからだ。ただ存在する力が必ず都合の良いものだけでない事はあたり前の事であり、自分にとって都合の良いものを求めるようになるであろう。

製作過程から氣を込めるオーダーメイドなのか、製作後に付与という概念からのメッキ方式を利用するのかはこうしたifの世界が来たときには確かめたい事柄である。

まとめ

個人的には自分の生命もまたこうした振動が織りなされた一つの存在であり、経年劣化とともに綻び振動が減衰する事が老化であり死ではないかと考えている。先天の氣と云う概念が大本の布であるとするならば、後天の氣とは繕い綻びを少しでも抑え布を実用性に耐える形にとどめる行為に当てはまるのだろう。

すると自分の固有振動に共振し、波の減衰を防ぎ振動を強化するような方法があったとしたならばそれは仙道思想における仙化のいち方法なのではないかと思う。地仙が形を保ったものであるならば、天仙の概念は自分の振動でもって自然界の振動に残るというものであろう。妄想と云われても仕方のない思考ではあるが、氣という概念がもっとわかりやすくなるとこうした妄想も妄想でない世になるのかもしれない(笑)そして技能の行程が解析され、工程へと変化してほしいと願うばかりである。

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